松久淳 猫なんて飼うんじゃなかった



<目次>
00「ご案内
01「猫が来る
02「猫はタフでなければ生きていけない
03「猫を飼う奴なんて
04「猫は気にしない
05「長生きの秘訣
06「猫の小説デビュー
07「吠える猫
08「猫をかぶっていないときがある
09「猫の帰還
10「猫の飼い方
11「好奇心に猫は落ちる
12「マーロウ救出作戦
13「YouTubeデビュー
14「ミリオンを達成する猫
15「猫の話をそのうちに
16「老い始めた猫
17「ボケていた
18「もういっかいマーロウ
19「猫はただの猫
20「化け猫疑惑
21「赤ちゃん返り
22「世界でいちばん好きな猫
23「猫なんて飼うんじゃなかった

12「マーロウ救出作戦」

 マーロウが流し台の下に隔離されてしまって、私はまったく頭が回らなくなった。そこで、一駅隣で事務所を構えている、建築士の三村さんに電話をかけた。 猫が流しに閉じ込められてしまったこと。借りたばかりの賃貸マンションであること。ペット不可で無断で持ち込んでいること。つまり大家や不動産会社には相 談ができないこと。
 すると親切な三村さんは、すぐにやってきてくれた。以下、不動産契約と倫理に反する記述があるが、あえて告白しようと思う。
 三村さんは流し台の構造をチェックした後で、もっとも短時間で、もっとも損害が少なく、もっとも現状に戻しやすい方法を考えてくれた。床の上の棚板の一 辺を、接着や継ぎ外し、ばきっと持ち上げて棒などをかませ、マーロウが出てこられる通路を作る。そして無事、マーロウが脱出したら、かませをはずし、板を 元に戻す。
 これならば、マーロウを怯えさせる時間も少なく、傷つけることもない。その後に多少板はよれてしまうかもしれないが、板を閉め直せば、現状にほぼ近いかたちに戻せる。
 マーロウ救出作戦はかくしてスタートした。
 板をめくる。かませたのは、ちょうどいい太さのマーロウの爪とぎダンボール。しかしその体制を整えても、マーロウが飛び出してくることはなかった。よっぽどその音が怖かったのは、「うううううううう」と低い声で唸り続けている。
 そのとき、私は隙間からデジカメを入れて、様子を探ろうとフラッシュを炊いて写真を撮った。それを見て、私は正直なところぞっとした。隙間のいちばん奥 に座り、信じられないくらいの鬼の形相でカメラを睨みつけているマーロウ。おそらく、我を失っているのだろうか。これはとても手を伸ばして引き寄せたりな どできる状態ではない。
 結局、わずかな隙間から出たところの床に、ふだんはあげないかつお節を巻いた。その先は普通のキャットフードも置いた。マーロウがこの匂いに誘われて出てきてくれることを祈った。しかし、しばらくそこで待っていたが、マーロウに動く気配はない。
 ひとまず、この棚板を開けたショックが和らぐまで放っておこうと、私は部屋を出ることにした。明日、外に出て、何事もなくしてくれていればいいと祈りながら。
 だが、救出作戦はまだ難航を極めた。
 翌日、ドアを開けると、驚いたことに流し台の目の前にマーロウが出てきていた。
 やった! 自分でちゃんと脱出してくれた! 一瞬驚いた私だったが、すぐに背筋が凍りついた。
「ゔおおおおおおおおおおおお!」
 マーロウは目を釣り上げ、これまで聞いたことがない唸り声を私に発したのだ。怖すぎて、一歩も動けなかった。
 マーロウは案の定、床に散らばったかつお節に誘われて出てきたようだった。しかし、まだ平静さは取り戻していなかった。私を一喝すると、ぐるぐるぐると不気味な喉の音を立てながら、ゆっくりとまた、流しの下へと脱出用にこじあけた隙間から、戻っていってしまった。
 私は部屋に上がり、次の瞬間を待った。
 数時間後、マーロウはまた外に出てきた。ぞっとするほど威嚇されるか、ものすごく噛まれるか、とんでもなく引っ掻かれるか、とにかくひどい目に遭うのは 覚悟して、私は近づいた。そして、マーロウの隙をついて、かませてあった爪とぎダンボールを抜き去り、棚板を戻し、扉を閉めた。細かい修復は後でいい、と りあえずマーロウがまた戻ってしまわないようにするのが先決だった。
 マーロウはしばらく、「ううううう」と低く唸りながら、流しのあたりを、やがて部屋のあちこちをうろつき始めた。私はほっとしつつ、彼が落ち着くまで近くに寄ることも、話しかけることも、目を合わせることもせず、ただただ、彼が冷静になるのを何時間も待ったのだった。
 やがて引越屋がやって来ると、今度はベランダ側のサッシのカーテンの中に隠れるように、出てくることはなかった。
 夜中になって、ようやく「みやあ」というマーロウの、甘えたような声が聞こえた。
 ようやく、マーロウと目を合わせる。すると彼は、しばし混乱しているのか、何かを判断しようとしているのか、きょとんとした顔を浮かべていた。やがてもう一度、「みやあ」と鳴くと、私の元へとことこと歩いてきた。
 私は思わずマーロウを抱き上げ、そして抱きしめた。
 怖い思いをさせてしまったね。ごめんね。この新しい部屋で、また楽しく暮らそうね。君が困るようなことがないように、注意するからね。すりすり。
 あ、やっぱりこんな状況でも、抱っこされるのはお嫌いでしたか。

marlowe age 12



*このページは、個人的にお伝えした方のみがご覧になっています。もし検索などで偶然見つけた方は、読んでいただくのはまったくかまいませんが(ぜひ、読んでください)、他の方に伝えないでいただけると、ひじょうに嬉しいです。

松久淳の、2018年6月に書き上げた、飼い猫マーロウについてのエッセイです。

*全23話。各ページに写真がありますが(デジカメ以前でまったくないページもあります)、話の内容と関係なく、話数=マーロウの年齢の写真になっています。

*各話の目次、エッセイ、写真、ご説明の順に載っています。あえてノーデザインのベタ打ちにしています。読みづらかったらすいません。

*出版、ウェブ関係、その他の方で本稿にご興味あるかたはご一報ください。