松久淳オフィシャルサイト週松(自前)表紙 > トップ > 週松プレイバック  日記(でも10年前の)第1話

 

*このコーナー自体の詳しい説明は、「日記(でも10年前の)」をお読みください。「10年前の(20歳の)私の日記に、30歳の私がつっこむ」というコーナーを週松初期にやっていました。その数年後、そのつっこみコーナーを元に、雑誌でエッセイ連載をしておりました。ここで公開するのは、そのエッセイ連載の原稿です。しかしそれからさらに8年、20代の私につっこんでる30代の私にも、40代の私はいろいろつっこみたい気分です。

今回は第1話に続いて、第2〜3話目の公開です。2話目など、「ラブコメ」を読んでくださった方ならあるシーンを思い出して、「あれっておまえの実話かよ!」と呆れてくださるんじゃないでしょうか。

 

2011年8月15日再公開

●日記(でも10年前の) 第2話「モテなかった奴は、いきなりモテたりしない」(サファリ誌 2003.10.24)

 そんなにモテたいですか? モテたいですよね、そりゃもちろん。おっさんになってもモテたい、というのはあたりまえの心理だし、だからこそ素敵なミドル養成講座な雑誌が成り立つんだと思う。

 と、冷房のない仕事場で、170センチ52キロの軟弱ボディをパンツ一丁でさらしながら、無料サイトのエロ動画をダウンロードしながら書いてる私には、もはやそんなことを思う資格すらないんじゃないかと溜息ひとつ。

 そんな私は、あたりまえだけど子供のころからモテなかった。というか「モテる」ということがどういうことなのか、いまだによくわからない。でも、じゃあまったく女子に無縁かというとそうでもなかった。「やりにげ」に関しては、すでに“なんちゃってED”の私から若い自分にご褒美をあげたいくらい頑張っていた。

 でもそれが、私が素敵なミドル道へ行きそびれた根本の原因だったように思う。

 つまり、「ヤレ」には努力を惜しまなかったからそれなりな経験はできたけど、「モテ」はハナっからやり方もわからず(わかってたらモテたかはまた別の話)、その2つが合致しなかった。わかりやすく言えば「好きになる人とやる人は違う」だったのだ。

 80年代後半、私は20歳前後の多感な微熱青年だった(……)。当時の私は、適当にやれる女の子を本当に適当にやった帰り道、わざわざ代官山の西郷山公園に寄り道して(……)、そのとき好きでたまらなくてでもそんな素振りすら見せることもできなかった女の子を思い出し、高橋幸宏さんの「今日の空」を聴きながら(……)そっと涙を流したりした。

 簡単に言えば精神分裂。たとえば13年前の今月の日記を読んでみると、自分がいかに「好き」「やりたい」を別物と考えていたかがわかる。

 おそらく、この日記に出てくる女子が「目的別」でなければ(口説くのも、デートするのも、せつなくなるのも、セックスするのも同一人物であれば)、私も少しは「モテ」とは何かを学んだかもしれない。正しい「モテ」をめざして頑張ったかもしれない。素敵ミドル雑誌もきちんと堪能して読めたのかもしれない。

1990/10/13(日)
・ バイト10:00−18:00。電車で寝過ごして遅刻。ヒマ。
・SMにあげようと「小学1年生の世界地図」を買う。
・6:30宮益坂のウェンディーズでSMとおちあい、後輩の大谷くんの入っている青山・四五六へ。SMのこの半年くらいの話を聞く。
・ なんと昨日、恋人とヨリを戻していた。「つけこんでやろうと思ってたのに」と言う。
・ 帰って高橋幸宏「1%の関係」聴く(笑)。
・ 昨日キスしたKSから「松久さんにはご迷惑おかけしません」という電話。ううむ。

<解説>
 ホントにバカだなあと思いながらも、私、あなたのこの日記を読んで泣きそうになりましたよ。

 19歳のころ好きで好きでしょうがなかった女の子(国の名前をまったく知らない女性でした)、ばっさりふられたあとも友達づきあいは続いていて、ある日、共通の友人から「あいつ、彼と別れたんだって」と聞かされていてもたってもいられなくなったあなたは、彼女を呼びだし……。

 レモン100個分のすっぱさがみなぎる青春プレイバックです。実はあなたは女の子とセックスするよりこういう話をこさえる方が大好きでしたよね。家に帰って律義に気分に見合う高橋幸宏さんを聴くあたり、ぬかりもありません。

1990/10/20(土)
・ 授業に出て早めにバイト2:00−10:00。
・ NYにプレゼントあげる。
・ 帰国した久美と遊びに行く予定だったが突然熱を出したとかで、急きょSRに電話。そのまま部屋に行く。
・ しかし、突然彼が来ると電話あって玄関先で間男のようにして帰る。

<解説>
 ……なんか忙しそうっすね。まあなんて言うんですか、「浅く広く」、あなたは大陸棚のような男ですね。魚いっぱい獲れるし。

1990/10/21(日)
・ バイト10:00−18:00。昼にパスタ屋で久美とメシ。
・ 7:30帰宅。夕飯を食ってSRが来るのを待つが、またもキャンセル。
・ ニール・サイモン『第2章』観る。
・ 11時、KNに電話して呼びだす。ワイン飲んでドミノやってキスする。けっこうガードのかたい女の子だった。
・午前2時、彼女の部屋まで送る。口説いて、答えはNOだがからませ放題。

<解説>
 あなたの行動や考え方にはとやかく言いません。言ったところで直るもんでもないでしょうし。というわけでこの日の日記、私にとっての収穫はただひとつ、「からませ放題」という言葉に尽きます。今度、どこかの原稿で使わせていただきますね。

1990/10/22(月)
・ 12:00に起きて3:00ごろ学校へ。図書館の本更新して、味平と話す。
・ 5:00Mビルへ。I社の人事の人とグループ会社の偉い人の面接を受ける。終了後、その場で内定通知にハンコ。
・ 7:30帰宅。9:00SRが来る。念願の(笑)バスルームでのセックス。その後も1回。
・ドリフの大爆笑を見忘れた。

<解説>
 きっとあなたは真剣に書いたのだと思いますが、この「ドリフの大爆笑を見忘れた」は、どうみてもこの3日間のシメの1文には思えないんですけど。でも、あなたにとってはその程度の3日間だったのかもしれませんね。心がこもってないですもん。

1990/10/31(水)
・ なんとか10:00に起きて11:30shimaで髪を切る。思いきり短くしたらルパン三世になった。
・ 1:00四ツ谷。ドトールで時間つぶして2:00眼医者。ものもらいはほとんど直ってるとのこと。
・ 6:00新宿。「漂白される子供たち」探してうろうろ。なくて村上春樹「ランゲルハンス島の午後」を買って、ウェンディーズで読む。
・ 8:30ロシータ。HEと1年ぶりくらいに会って、3時間ほど飲む。就職祝いでもらっておごってもらう。帰り際「私、100万単位で言い寄られるけど、君ならタダでいいわよ」と言われる。が、帰る。
・12:30帰宅。洋子さんにもらったユーミンのテープ聴く。

<解説>
 私はもうとっくにおっさんですからいちいちこんなことを言うのも何ですけど、23〜24歳程度でそういう台詞を口にする女性というのは、なんかこう、「頑張ってるなあ」って気持ちになります。

 そのくらいの年齢の上昇志向の高い女の子というのは、だいたい一度くらい中年とつきあって、それだけで「大人の女」になった気になったりするものです。

 若いころはそういう女性が大嫌いでしたが、この年になるとその背伸びぶりが可愛らしく思えるということは、私も立派なおっさんになってきた、ということでしょう。(余計なことに気づかせてくれて)どうもありがとう。

 

●日記(でも10年前の) 第3話「大人になってから好きになるものはない」(サファリ誌 2003.11.24)

 若いときに好きだったものというのは、大人になってもけっこう忘れないものだ。逆に、大人になってから好きになったものというのは、意外に覚えてないし自分の血にも肉にもなってくれない。

 たとえば、20歳のときに読んだ本はいまでもあらすじが言えるけど、30歳のときに読んだ本は著者名すら忘れてたりする。20歳のときに好きだった音楽は、アルバムの全曲タイトルくらいすぐ出てくるけど、30歳のときにカラオケで歌えた曲はもはや覚えてない。20歳のときは好きで繰り返し観る映画があるが、30歳になると始まって30分くらい経ってようやく「あ、この映画前に観たことある」と気づいたりする。

 結論から言えば大人になってから受け取ったものは、もはや自分の中に収納場所がないのだ。

 そういう大事なことは、いつも気づいたときには遅い。なぜ自分が若いときに、まわりの大人たちはそれを教えてくれなかったのだろう。

「いま好きなものがすべてだぞ。10代で好きだったものは忘れない。30代になってから新しく好きになることなんか、ほとんどないぞ」

 そんな風に親身に言ってくれる大人がいれば、若い私もサーフィンを始めたり、クルマに興味を持つようにしたり、その時々でいまどきの着こなしをしたり、流行りの店に女性をエスコートする術を必死に学んだりしただろう(……たぶん)。

 いま仕事場でまわりを見渡してみると、惨憺たる気持ちになってくる。スタイリッシュなダイバーズウォッチはどこに? ドレスアップしたネイビースーツはどこに? エレガントなレザースニーカーはどこに? オーガニックデザインの照明はどこに? オフタイムに使い勝手のいいSUVはどこに?(入んないって)

 実際にあるのは、川浜なつみさんのエロDVD40枚とか、3日続けて着てる嫁がバーゲンで買ってきたシャツとか、チャールズ・ブロンソンのマンダムのポスターとか、3倍速で録画した映画のオンエア(つまり1本につき3本)しかも全部が吹替版というビデオが500本とか、「バカコレクション」というファイルに詰まったパフィーの切り抜きコレクションとか、ネットで落としまくった「素人投稿画像コレクション2001」というラベルのCD-ROMとか、そんなものばかり。

 趣味嗜好をチェンジできる最後のチャンスは、おそらく20歳くらいだと思う。もうその後は、「20歳までで好きになったもの」というのが絶対的な基準になって、それを「もっと好きになる」「そこから発展して同一線上の新しいものを好きになる」「嫌いになる」しかない。

 その「嫌いになる」というのも、たんなる近親憎悪だったり自分の若さゆえの恥ずかしさを否定したりするだけのことで、いずれにせよ「まったく新しいもの」にはもはや身を投じることはできないのだ。

 そんなわけで日記を読み返せば「恥ずかしさ」がいまの私を覆うが、どちらにせよ「そういう奴は、こういう奴にしかならない」ということだけは、はっきり自分でわかる。

89/11/1(水)
・4時起き。どしゃぶり。
・学園祭1日目。いとうせいこう氏+ナンシー関氏+押切伸一氏イベント。
・いろいろあった。おもしろかった。でも疲れた。まいった。

<解説>
 ここから3日間のあなたの日記は、面白いんですけど気恥ずかしいにもほどがあります。

 あなたはいわゆる「学園祭イベント」というのを仕切っていた、まあ簡単に言えば「いけすかない大学生」でした。

 でも、細かい話になりますけど、当時こういうイベントをやるような「いけすかない大学生」には二種類いました。

 ひとつは「モテたい」という理由からスタートする、女性を呼ぶためのダンパなどを主催する連中(ダンスパーティ略してダンパという言葉が当時ありました。クリスマスパーティ略してクリパ、とか。……恥ずかしいにもほどがありますね)。

 こういう人種はけっこう普通に一流企業に入社して、普通にオシャレとかクルマとかレストランにも詳しく、そのまま人生を続けていけたりします(それが楽しすぎて道を間違うと、早稲田の某有名団体のようになってしまうわけですが)。

 しかしもう一種類というのが、明らかにオタク出身サブカル行きみたいな、「女子にモテたいくせに、つい自分の好きなものを優先してしまう悪い癖」が抜けない人種。自分のことを「いけすかない大学生」だと自覚しながらも、「こんなチャンスに好きな人に会いたい」からイベントを実現させてしまうという、文化的公私混同野郎です。

 あなたがどちらかだったかは言うまでもないですよね。そんなあなたのせいで、いま私はなんの保証もない自営業の物書きになってしまいました。

89/11/2(木)
・景山民夫氏講演会。
・比較的ラク&大入り&楽しい一日。
・景山民夫氏はあまりにいい人。握手した話した写真とった。

<解説>
 断ることもないですけど、入信される前の景山先生でした。

89/11/3(金)
・6時集合。かなりあおられる。音響屋がうるさい。
・ミスコン。850名動員。
・司会のビシバシステムの住田隆さんと記念写真。
・けっこう早く終わって反省会。8時打ち上げ。

<解説>
 いわゆる大学のミスコンテストのことですね。文化的公私混同野郎のサブカルドリーム実現イベントのわりには、そういう華やかなものもやっておきたい欲張りさんなあなた。

 でも、その司会に「いかにもミスコンの司会をやりそうなショーパブっぽいお笑いの人」ではなく、たんに自分の好きなコントコンビのお二人を呼んでしまうのが、あなたらしいと言えばあなたらしいところでしょう。住田さんはあなたに顔が似てましたし(というわけで記念写真)。

 さてしかし、実はその大学のミスコンはけっこう注目されるイベントで、その数年前のグランプリは現貴乃花親方夫人だったり、その翌年のグランプリはフジテレビアナウンサーの西山喜久恵さんだったりしました。

 で、このときグランプリになったのは、リサ・ステッグマイヤーさん。これがきっかけで仲良くなりました、なんてオチはもちろんなく、当時もいまも電話番号すら存じ上げません。

 まあすべてが「時代だなあ」って感じですね(いい意味で)。

 で、いとうせいこうさんとか、ビシバシステムさんとかに学園祭イベントに、あなたが(他スタッフのコンセンサスとらずに)来ていただいた理由は至極簡単で、翌月の日記でそれがわかります。

89/12/11(月)
・今野新一ほか2名とラフォーレ原宿へ。ご招待いただいた、ラジカルガジベリビンバシステムの「砂漠監視隊」を観る。とにかく最高。

<解説>
 いまとなっては嘘のようですけど、作が宮沢章夫さんで、出演がいとうせいこうさん、竹中直人さん、中村ゆうじさん、シティボーイズさん、さらにこのときの客演が田口トモロヲさん、という舞台。

 あなたがこれを好きだったおかげで、私の趣味嗜好はほぼ決まってしまったような気がします。クルマもレストランもファッションも知りませんが、そういうことはいつまでも覚えてる自分に乾杯、です。