松久淳オフィシャルサイト週松(自前)表紙 > トップ > 週松プレイバック > 日記(でも10年前の)第1話
*このコーナー自体の詳しい説明は、「日記(でも10年前の)」をお読みください。「10年前の(20歳の)私の日記に、30歳の私がつっこむ」というコーナーを週松初期にやっていました。その数年後、そのつっこみコーナーを元に、雑誌でエッセイ連載をしておりました。ここで公開するのは、そのエッセイ連載の原稿です。しかしそれからさらに8年、20代の私につっこんでる30代の私にも、40代の私はいろいろつっこみたい気分です。 |
2011年7月20日再公開
●日記(でも10年前の) 第1話 人生はやり直しがきかない。(サファリ誌 2003.9.24) いつからオレは道を誤ったんだろう……。 っていきなり遠い目をすることもありませんでしたね。え、私いま、遠い目してました? 昨今流行りのオヤジ向け雑誌をぱらぱらとめくって愕然とした。世の中のおっさんたちの志が、オシャレ&アクティブ、素敵なミドルになってモテてやろう、だったとは。 マジっすか、同年代の皆さん? 私は素敵な女性をエスコートする素敵なレストランなんて知らない。BRIOを読んだら載ってるのだろうか。「着崩すカジュアル」なんて言われても、こっちは最初から普通に着てるものは崩れてる。LEONを読んだら直るだろうか。男の冒険心をくすぐるクルマとかアウトドア情報とかやらは、北朝鮮問題くらい謎だった。GQを読んだら解明できるのだろうか。 そんな私の毎日の生活はものすごく単純だ。 午前11時ごろに仕事場で起きる。ちなみに冷暖房もなければ和式便座でお湯の出も悪い格安物件。そこで夕方まで、原稿を書いたりエロビデオを観たりして過ごす。 午後6時になったら業務終了、歩いて保育園まで息子を迎えに行く。息子と散歩しながら、仕事場から徒歩3分の自宅に帰り、一緒に風呂に入る。その間に勤め人の妻が帰宅して夕食。 夕食後は仮面ライダー好きの息子から、毎日「とーちゃん、たたかうぞ!」と挑戦状を叩きつけられるので、近所迷惑にならぬよう無圧布団を敷いたうえで、腰痛をかばうようになるべく「寝技」に持ち込み戦う。 子供が寝たら午後11時、仕事場に戻る。たまに仕事をすることもあるが、だいたい飲みに出て、呼び出した女子にエロオヤジなセクハラトークをして、午前3時ごろ帰ってくる。 以下、繰り返し。土日はその「仕事」の部分が、「子供とお出かけ」にチェンジするくらい。 溜息。 どう見ても素敵なミドルにはほど遠い。 こないだもぎっくり腰をやった。もうしっかり勃ってくれなくなって数年経つ。でも、皮肉なことに深夜の飲み屋におけるきれいな女子の参加率はあがった。しかし勃たない分、彼女たちのエロ話を童貞のような気持ちで前のめりで聞いていたりする(通称「マエノメリィレポート」)。 私はすっかりBRIOからもLEONからもGQからも見捨てられた存在になっていたのだ。 突然だがこのエッセイのテーマは、「間違ってる奴は最初から間違っている」だ。 なぜ私はセックスよりもエロを重視するのか。小粋な会話が苦手なのか。体を鍛える気がまるでないのか。クルマを買うくらいならエロビデオを山ほど買いたいのか。 絶好のサンプルは、私自身の日記だ。私はこの15年、一日も欠かさずに日記をつけている。昔の日記をひもとけば、いつ道を間違ったかがわかると思ったのだが、そんなことはなかった。なぜなら、もう15年前から私はおかしいのだ、やってることがいちいち。 たとえば12年前の先月〜今月はこんな感じだった。 1991/8/1(木) <解説> 1991/8/17(土) <解説> あなたは高校時代、通学電車の同じ車両で、いつも同じ女の子に会っていました。ちょっときつめの顔立ちに制服越しにもわかる爆乳(って言葉は当時ありませんでしたが)。でも満員電車で話しかけるきっかけもないまま2年が過ぎ、あなたは卒業。もう彼女と会うことはありませんでした。 勇気を出して話しかけていたら……とその後もあなたは何度壁に拳を打ちつけたら痛いので、何度オナニーしたかわかりませんでした。そんな彼女との偶然の再会。いま、なぜこのときもあなたが話しかけなかったのか、私はもどかしい気持ちでいっぱいです。 の前に、「イケイケ」って、その言葉は12年前的にもどうなの? 1991/9/1(日) <解説> 私事ですが、その田中渉くんと私はいま、コンビ作家になりました。教訓は「友達は大事に」ですね。え、まとめがでかすぎますか? 1991/9/25(水) <解説> |