松久淳オフィシャルサイト週松(自前)表紙 > トップ > 週松プレイバック > 愛の教訓「アメリ」「ハンニバル」
*2001年から雑誌連載を開始して、2004年に1冊にまとまった「愛の教訓」。 誰もが知ってる有名な映画から、独自に(勝手に)教訓を導き出そうという斬新な(勝手な) 企画でした。ちなみにその背景には、なんとなく馬鹿にされがちなラブコメという映画ジャンルを、徹底的に(勝手に)擁護してやろうという気概もあったりして、それはこの本と、小説の「ラブコメ」に結実したかなと自負しています。 と、まじめなイントロを読んでから以下の本文を読まれると、けっこうな確率で脱力していただけるかなと。単行本にも収録されている、2話分を特別公開いたしますが、ほんと、目からうろこも気力も落ちる教訓を展開しています。 ちなみに現在は、VERYという奥様雑誌でもう何年も、この愛の教訓のマダムバージョンを連載させてもらってます。ご興味ある方はぜひそちらもご覧下さい。 |
2011年8月3日再公開
特別公開1●「アメリ」が絶対的に正しい理由の巻 「アメリ現象らしいね」 もうつっこみませんから早く本題に入ってください。先にまとめておきますけど、賛否両論は「可愛い」「私みたいなところがある」と、「電波女じゃん」「アメリもどきはうざい」の2派ですからね。 「あとは飲み屋で『ナメリ』って口にしちゃったのも一大勢力だよね」 いないですよそんなベタなこと言う奴。あれ、もしかして……? 「とにかくアメリは正しい映画だったよ」 あ、話戻してる。でも、いままでの教訓の流れからいくと、「あんな不感症くさい女!」とか罵倒するんだと思ってましたけど。 「そのとおりだから正しいんだよ。まずアメリは不感症で満場一致でよろしいか?」 誰に聞いてるんですか。確かに、目をあけたまぐろ状態のシーンもありましたし。 「不感症って不幸でしょ。人をちょっとづつ幸せにするヒマあったらまずは我が身なんだけど、あそこまで患うと、ちょっとやそっとの男じゃアメリを変えることはできないんだよ」 アメリを見て可愛いとかつきあいたいと思うような男じゃ逆に無理でしょうね。 「松方弘樹系に囲われてみるか、加藤鷹さんに一度お願いするかしないとあの子はそのまま終わるよね。ピロートーカーズも『アメリ見てたら可哀想で泣きたくなった』って言ってた」 ちょっと待った。前にもチームセクハラとか言ってましたけど、今度は何ですか? 「素敵な暗号を女性の耳元で囁く前線部隊ではなく、過去の自分のピロートークを飲み屋で披露トークしてゲラゲラ笑いあう、オレと愉快な仲間たちの平和団体」 いまそっとダジャレ言いました? 「でも松方弘樹も鷹さんも間違いなくアメリには興味ないよね」 話戻してますね。だから最後にやっぱり、2枚目だけど普通っぽくない、「この人なら私をわかってくれる」的な王子様が現れるから全国の不幸な女性が熱狂したんですよ。 「今回はなかなか毒舌だね。でも、あの男は一見、優しげで線の細い理解力のある2枚目で描かれてるけど、この映画の最大のポイントはそこじゃなくて、あいつは大人のおもちゃ屋勤務、というとこなんだ」 確かに楽しそうなモノに囲まれてましたけど、それがそんなに大事なんですか? 「つまり彼は道具使いのエキスパートなわけだよ。鷹さんには及ばないけど、唯一並の男でアメリという病を直せるのは、そういうアイテム慣れした奴しかいないからね」 アメリという病ときましたか。じゃあこの映画は本当のハッピーエンドだったわけですね? 「そう。しかも妄想力の高い写真マニアとマスクプレイ好きのカップルだもの。間違いなく2人は、ニャン2倶楽部に投稿するくらい幸せになったと思うな」 教訓:道具に頼る幸せもある
特別公開2●セクハラする前に「ハンニバル」の巻 「『ハンニバル』が究極の愛の物語だ、なんてことはどこの誰でも言うことだけどさ、どこがどう愛だったのかをきちんと説明した人はいないよね」 それはクラリス・スターリング捜査官とハンニバル・レクター博士の、こうなんというか愛憎入り乱れた……・ 「って雑なことしかみんな言わないでしょ。本当はそんなぬるい話とはまた違った、誰にも役立つ大事な教訓がこの映画と『羊たちの沈黙』にはあるんだよ」 誰にもって、これ特殊な人たちの特殊な話だと思うんですけど。 「特殊なんかじゃないよ。女の人にエロ話したりセクハラしたとき、笑ってもらえるか嫌われるかの境界線って、どこにあるか知ってる?」 あの、いまハンニバルの話を……。 「してるんだよ。これはもう完璧な解答を見つけたんだ。要はね、そのエロ話に男の『あわよくば今夜……』って下心があると、女の人は勘がいいからすぐ見抜いて引いちゃうんだよ。でも、どれだけ下品な話をしてもその男がその気がない、というか勃たなそうだと思ったら、もともと女の人は下品な話が好きだからノリノリになるんだね」 最近のご自分の話をしてるだけ……いや、なんでもないです。まさかクラリスがレクター博士に魅かれた理由ってそれなんですか? 「だよ。だってレクター博士がどんなきわどい話したって、自分がやられないのわかってるからクラリスはノリノリでつきあうんじゃん。あ、いまの『やられない』の漢字は『犯』と『殺』のダブルミーニングね」 そんな説明はいらないです。 「つまりさ、その男がヨソでどんなすごいプレイしたか、我が身に降りかかってこないかぎりは聞きたいわけだよ、女性というものは」 でも、原作でも映画でもラストでレクター博士はクラリスに……。 「みんな賛否両論とかいろんなこと言うけど、そういう意味ではどっちも正しかったね。愉快なエロ話してくれる男の凄いプレイの矛先が、いきなり自分に向いたら女の人は困るでしょ」 正しいんですか? 原作ではクラリスを薬の力で、映画ではクラリスが最後の抵抗をして、でしたよね。 「そう、いままで陽気なセクハラしてた女性を襲ったら、普通『やめてよ、そんな気ないわよ』ってぶん殴られるよね。それが映画版のオチ。で、そんな女をなんとかしようと思ったら薬の力に頼るしかない、んじゃ飲ませちゃえ、という結論が原作版。セクハラ男の結末としてはまあこの二択しかないわけだからね」 となるとこの映画の教訓は……。 「セクハラに喜ぶ女性がセックスできるとはかぎらない、だね。若い女子社員がいるオフィスには、ハンニバルの写真と一緒に標語として貼っておいてもらいたいものだね」 教訓:セクハラに喜ぶ女ができるとはかぎらない |