松久淳オフィシャルサイト週松(自前)表紙 > トップ > 週松プレイバック > アフター晩年 「松久田中の虚弱体質のほう」
*ここは2003年の「ヤング晩年」以降のコラムをまとめた「アフター晩年」の1コーナー<松久田中の虚弱体質のほう>です。 |
2011年8月5日再公開
●部屋とガンダムと田中 (コンティニュー誌 2005.12) 10年以上前、コンビ作家になるはるか前に、相方・田中渉と「イデ和大事典」というのを作ったことがある。我々2人用に。「死ぬかもしれないのになんで食べてんだろう」「朴念仁が」「こんな甲斐のない生き方なんぞ」「みんな星になってしまえ」といったイデオンの名台詞の数々を日常会話でも活用するために……って原稿のお題はガンダムでしたかああそうですか。 ガンダムという単語をここまで堂々と語れるようになったのは、単純に「語りたくてうずうずしていた少年が、物言える中年になった」からであり、それは私とて例外ではない。当時、みのり書房の「月刊OUT」をキャプションひとつまで読み込んでいたなどとは、女子はおろか男友達にすら言えなかった。悲しいけど、これアニメなのよね。 相方に出会った80年代末期の大学時代もまだガンダム語りなぞできる状況でもなく、水泳部経由空手部行き体育会系野郎だった相方に、軟弱文科系男子な私(いつも新聞部)は、当然マクベのマの字も語らなかった。 しかし5年ほど過ぎたころ、毎朝5時に起きて走り込むトレーニング馬鹿の相方が、いつもの居酒屋で、10時なのにすでに瞼を閉じつつ(「瞳」は閉じません)突然こんなことを言うではないか。 「予備校時代、寮にテレビなくてさ。いつも電気屋の前でZガンダム見てたんだよね……」 これが、のちに「天国のZ本屋」でまぐれヒットを出すコンビ作家の始まりである。すいませんタイトルちょっと間違えてます。 まあそんな感じで中年になり、いまは逆に中年のガンダム語りが恥ずかしくて、するときは相方と2人っきりのときだけにしてますが、相方も持ち歌の「シャアが来る」を歌うときは私がいるときだけにしているようですが、それでも数年前、明石家さんまとSMAPの特番で、生のナレーションが古谷徹さんだったことに木村拓哉が狂喜乱舞、「『殴ったね。親父にもぶたれたことないのに』って言ってください」などとリクエストをしてるうちはよかったが、明石家さんまが「これ古谷さん?」とちゃんと誰かわかっていながら「じゃあ僕からもすいません。『南、愛してるよ』って言ってください」と大勘違い、しかし古谷さんは数秒の間の後で、三ツ矢雄二さん風(?)に明石家さんまのリクエストに答えてしまったシーンに、愕然としつつわなわなと震えたりはします。句点なしのわけのわからない一段落でしたね。 そんな私のいちばんの思い出といえば(ここからかい!)、10年以上前、当時の彼女にイデオン劇場版のビデオを貸して、そのまま別れてしまい、当然ビデオは返ってこなかったこと。いまではその彼女の名前すらよく覚えてないアルツ中年だが、その未返却事件だけは、相方に「その話、もう10回以上聞いてる」と呆れていただくほどです。これでも男ですよ軟弱者。 だからお題はガンダムなんだってば。
●天国の本屋のキッス (松本隆氏公式サイト「風街茶房」2007.7.30) 私の数少ない(微妙な)ヒット作の最初の3文字が同じだからという理由で、国民のほとんどが知ってる(本物の)ヒット曲「天国のキッス」でコラムを書け、と言われた小説家のせつない気持ちはぐっとこらえます。ぐっ。 しかしダジャレなオーダーがタイミングがよかったのが、いま私、その「天国の本屋」という小説のシリーズ4作目をほぼ書き上げ、秋からの連載開始を待ってる時期でもあったのでした。そして目下の問題は「サブタイトル」がまだ決まってないこと。 つくづく「天国のキッス」っていいタイトルだなあと思う。「天国のキス」ではなく「天国のキッス」じゃないとダメというのは誰もがわかると思うけど、後からならなんでも言えますよの最たる例でしょう。 普通は「天国のキス」が思い浮かんだ段階で、「こりゃダメだろう」と即却下(でしょうきっと)、しかしそこに「ッ」だけ足して名作にしてしまうのは、素人じゃ無理ですよ奥さん。奥さんに話してたのか俺。どこの奥さんだ。 そんなわけで、先ほど4作目のサブタイトルが決まってないと書きましたが、こんなお題をいただいたんだから、「天国の本屋のキッス」にしちゃってもいいんじゃないかなと思ってみたり。怒られないかな、いやきっといろんな人に怒られるだろう、というかキスシーン出てこないじゃん、だめじゃん。 そういえば「抱きしめられて気が遠くなる」→気管までしめつけて呼吸困難で失神?→「私生きてるの?」と、いらん深読みをしたのは中学3年の春。そんな童貞丸出しだった私も、来年は天国に手が届きそうな不惑。 |